4月25日のアンザックデーの追悼イベントに参加してきました。
簡単にですが、アンザックデー(ANZAC Day)とは、
「Australia and Newzealand Army Corps」の頭文字をとったもの。多くの戦死者が出た第一次世界大戦のトルコのガリポリの戦いで国のために戦ったANZAC兵たちのために追悼を行う日。
1915年4月25日にANZAC軍がトルコのガリポリに上陸したことがこの日にちの由来で、第二次世界大戦後は、戦争に参加した全てのオーストラリア兵のための追悼記念日に変わっていった。
ということです。
昨年のアンザックデーは、オーストラリアに到着して間もない頃で、「アンザックデー」って何?というところから始まり、日本は大戦中は敵国だったから、「この日は外を出歩いちゃだめだよ」「日本人は生卵をぶつけられるよ」といううわさを聞いて、おとなしくしていました。
今年は、子ども達の通う小学校からのお誘いもあり、地域の各学校などがパレードをする追悼イベントに参加してみました。実際には、世代も変わってきたのか、普段と変わりなく、日本人ということで敵対視されることはありませんでした。追悼イベントに日本人が参加すること自体、昔では考えられなかったと思います。
現地に長年住んでいる人によると、最近では、あまり国籍がどうこうということもなく、「イベントに参加してみたら~」とオージーに逆に誘われたり、普通に休日として過ごしたりもするようです。この追悼イベントにも移民の方たちも混ざっていました。
昔(15年くらい前)は、多少差別のようなもの?もあったらしいのですが、最近では、留学やホームステイなどで日本人が増え、他国に比べて礼儀正しいとか、日本食もヘルシーだと人気もあり、日本人に良いイメージをもつようになり、時代が変わってきたと言っていました。
アンザックデーのイベントですが、どんなことをしたかというと、
学校ごとにパレードをする。高学年の子が低学年の子と手をつないで一緒に歩いてくれます。わが子もオージーのお姉ちゃんに手をつないでもらい、クラスのお友達と一緒に歩きました。
追悼式典。引退した軍人の方や家族たちも参加して、スピーチをしたり、オージーの高校生、移民としてきている高校生のスピーチ、平和の象徴のハトを放つ、記念碑への献花などが行われました。
小学校でも学年に合わせて理解しやすいように、アンザックデーについての授業があったり、息子のYear1のクラスでは、アンザックの象徴花である赤いポピーの絵画や、胸につけるポピーのブローチ作りをしていて、パレードの時につけて参加する子もいました。
オーストラリアの学校の授業では、子ども達が相手国に敵対心を持つような教育ではなく、平和を目指していくこと、あと、普段から異文化を認め合って共存していくような教育が行われています。
子ども達にとっては、今の年齢だと「学校の友達とパレードをしたこと」「座って、内容は分からないけど大人の話を聞いたこと」「授業で習ったり、ポピーの花を作ったこと」くらいのイメージかと思いますが、大きくなった時に写真を見て、なんかそういうことをしたなと、記憶が少しは残るかな?
式典も堅苦しい感じではなく、和やかに行われていて、戦争があったことを忘れないようにしようといった意味合いを感じました。オーストラリアならではの経験になったと思います。
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